高野山霊場第一番の西南院は、平安初期に弘法大師の高弟、真然大徳によって開基されました。本尊太元師明王は弘法大師の御真筆になるものです。当院の位置する西南の方位が古来より裏鬼門になるが故に、除災招福の為、真然大徳これを秘かに拝し奉りました。爾来、この秘仏を奉り正月元旦より七日間万民豊楽の祈願が古式に則って厳修されてきました。のちに鳥羽法皇が参詣されて効験あらたかであると当院を勅願寺と定められ、江戸時代には大分の中川公を始め、岡山・淡路・関東の諸大名が参詣されました境内の経蔵は往時の面影を遺す唯一のものです。
御本尊 太元師明王
にしみなみ みむろのにはに しづまれる
だいげんすいの のりぞたふとき
高野山西院谷にある西南院(さいなんいん)は高野山霊場の第一番であり、その本尊は太元師明王(たいげんみょうおう)です。「西南」の名称は、その位置する方位によるもので、江戸時代では学侶方に属しました。歴代の院主には好学の僧侶が多く、備前(岡山県)・淡路(兵庫県淡路島)などに数十の末寺がありました。
西南院の開基は真然大徳(弘法大師の高弟)と伝えられますが、その詳細は不明です。しかし、少なくとも平安時代の後期に存在したことは、文治5年(1189)8月付の「金剛峯寺西南院敷地宛行状」(『重要文化財 西南院文書』第3巻)から確かに裏付けられます。高野山の子院の中でも、その歴史はかなり古いものがあると言えましょう。
上の「敷地宛行状」によれば、文治5年に大進律師信助という僧侶が西南院の敷地を手に入れ、やがて平等心院を建立しました。このため、鎌倉・室町時代の西南院は、平等心院と一体化していたようです。信助は後鳥羽天皇の摂政であった九条兼実の母方の伯父にあたることから、平等心院は九条家を外護者として仰ぎました。兼実の娘宜秋門院(後鳥羽天皇中宮)や、孫の九条道家らも、平等心院を祈願所として手厚く保護し、和泉国大泉荘(大阪府和泉市)の年貢の一部を寄進しています。このような関係から、平等心院の院主の代替わりにさいしては、九条家の当主の承認が必要でした。さらに鎌倉後期以降になると、九条家に代わって、その同族である一条家の当主が、院主の代替わりを認めています。しかし、室町時代の中期以降になると、西南院と一条家との関係も薄まるようになりました。
江戸時代に入ると、西南院の院主であった良尊・秀弁らが、徳川家康に重用されたことから、西南院は栄えました。良尊は、慶長19年(1614)に家康の隠居所である駿府城に招かれ、家康が開催した真言論義に出仕しています。このときの良尊の日記が西南院に伝わっており、大坂冬の陣直前の政治情勢にも触れるところがあって、興味深い内容です。高野山を江戸幕府の支配下に収めようとする家康にとって、良尊は有用な人物だったのでした。良尊は、家康の側近として知られる金地院崇伝とも親交があり、崇伝の日記『本光国師日記』にも良尊が登場します。
なお、江戸時代の西南院は、滝廉太郎の名曲「荒城の月」で知られる、豊後岡藩(大分県竹田市)の藩主中川家の菩提寺でもあり、歴代の藩主から尊崇を受けたことも見逃せません。
以上に述べてきた西南院の歴史をひもとく上で重要な手掛りとなるのが、西南院に伝わった多くの古文書・記録・密教聖教(しょうぎょう)です。古文書・記録には、貴重な歴史的価値を持つものが多くあり、その主要部分が、昭和34年(1959)に『西南院文書』全11巻として重要文化財に指定されました(現在、高野山霊宝館に寄託中)。高野山の子院に伝来した史料群でも屈指の歴史史料というべきもので、西南院の歴史にかかわる古文書はもちろんのこと、「元応二年大塔供養記録」「寛治二年高野御幸記」「高野山先哲灌頂記録」のような、中世の高野山史を考える上で興味深い内容を持つ記録も含まれています。また、密教聖教には平安・鎌倉時代に書写された古写本が多く含まれ、早くから国語学の研究者によって注目を浴びています。
以上の資料群は、元和2年(1616)6月に、院主の良尊が徳川家康の援助を受けて院内に建てた経蔵に収蔵され、今日まで大切に保管されてきました。現在、高野山大学の研究者を中心とするグループによって、少しずつ学術調査が行なわれています。ぜひ西南院の伝えた古文献・古文書を通して、高野山をめぐる歴史・文化への理解を深めていただければ幸いです。(文責・高野山大学准教授 坂口太郎)
2009年末、大日如来さまが20年ぶりに霊宝館より本堂に御帰りなされました。
皆様の御登山、御参拝の程お待ちしております。
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