西南院の向かいにある児童公園の奥の階段を上ると中腹に社が祀られています。(左の写真は公園にたつ鳥居)
それが高野七弁天の一つ「祓川弁天」です。
元は大門駐車場の奥にあったものを明治28年に今の児童公園の藤棚の所に移し、その後昭和55年に現在の場所に上遷宮されました。
本尊「八臂弁財天」は頭上に白蛇の宇賀神をいただき、像の前にはとぐろを巻いた蛇の上に如意宝珠があり、童子は16体あります。
社の脇には小さな祠が2つあり、左が「正一位玉房大明神」、右は「正一位稲荷大明神」と「正一位御鏡大明神」が並べて祀られています。
現在、午後6時~11時の間ライトアップされ、公園から浮かび上がったその様子を見る事が出来ます。
祓川弁天には近辺の人達が西弁天講を作り社を維持しています。毎年10月17日の大祭には、当院住職が法楽を捧げ餅まきが行われます。
「祓川弁天」
ライトアップされた「祓川弁天」
高野七弁天とは、「首途弁天(かどでべんてん)」「尾先弁天(おさきべんてん)」「圓山弁天(まるやまべんてん)」「綱引弁天(つなひきべんてん)」「湯屋谷弁天(ゆやにべんてん)」「祓川弁天(はらいかわべんてん)」「嶽弁天(だけべんてん)」の七社をいいます。
伝説によると弘法大師が高野山の水源に七弁天を作られたそうです。実際七弁天は、御殿川(おどがわ)の源流である弁天岳に祀られているのをはじめ、伽藍を中心に取り囲むように延びる尾根や支流など、山上の重要な水源となる七ヵ所に祀られています。
弁財天(弁才天)はもともとヒンドゥー教の河神サラスヴァティーが、仏教あるいは神道に取り入れられました。密教では胎蔵界曼荼羅最外院の西方に天部の女天尊として配されています。
お姿は二臂(2本の腕)の場合は琵琶を持ったものが多く、八臂(8本の腕)の場合は宝珠と弓、箭、剣、矛、斧、棒、鉄輪・宝箭(矢)・宝刀・宝弓を持ったものがあります。
眷属として十五童子(印鑰、官帯、筆硯、金財、稲籾、計升、飯櫃、衣装、蚕養、酒泉、愛敬、生命、従者、牛馬、船車)に善財童子を加えた十六童子を伴う事があります。
弁財天真言:ノウマク サマンダボダナン ソラソバテイエイ ソワカ
→高野七弁天の所在地地図と各写真
霊宝館サイトの高野七弁天の説明ページ